しましま通信

飽き性だけど、手作りが好き。台所から生まれる食べ物、家庭菜園の様子、縫物や編み物など日々の暮らしの中の事を書いていきます。

もう既に自分の中にあるものを大切に ☆私は鳥のお母さん

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自分の持ち味ってなんだろう。

今までは、自分の持ち味を考えるときは、残念な自分を受け入れると言う作業だった。

でも、自分ってそんなに残念な生き物なのかな。

ある本を読んでから、ちょっと物の考え方が変わったかも。

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毒親の本

もう図書館に返してしまったんだけど、毒親の本を借りました。

 

前からそうは思っていた。

そうっていうのは、私が親に怒られた事は全て私が悪かったわけではない。

多分多くの人たちは、上の一文を読んで「そりゃそうだよね? 」て思うと思うんですよ。

だけど、親にコントロールされてきた私にとっては、そういう思考回路はなかったんですよね。

 

長男がまだ小学生位の時に、いつものように私が長男の短所について怒って説教をしていました。その時に、このやり方では全然効果がないことに気が付きました。

なぜ効果がないのか。

長男の表情を見てみると、あー。この人(私!母親ね!)なんかイライラして怒ってわ。

そういうふうに顔に書いてある気がしました。

 

長男は鋭いところがあるので、喋っている人間が長男のことを思って発言しているくれているのかと言うところは、感じ取っている気がしました。

それからは、腹が立っても長男のことを思っているということを伝えるとしたら、どういう気持ちで話せばいいのかと考えるようになりました。

 

ここで大切な事は、話し方ではなくて私の心を整えると言うことです。

その心を長男に伝える。

 

そうすると、なんか知らんけどこの人は僕のことを思ってくれているんだなぁと、その1点は伝わるようになってきたように思います。

それ以来、心を整えると言う訓練を何年も受けてきたように思います。

もちろん、それでもガッ!っと怒ってしまう事は未だにあります。

 

アンガマネジメントの講座も受けた来たことあるのにさ。。。。あはは。

まぁ、ベストは無理さ! ベター!ベター!

 

さてさて、毒親の本の話です。

そこにコントロールする親、子供の成長に嫉妬する親等々何個かのタイプの親のことが書かれていました。

ちょっと正確な事は忘れてしまいました。

 

本の中に、ひどい目にあわした親に対して子供は、ノーといってもいい。

子供が小さい時は、親は絶対的な生き物ですからノーって言えないんですよね。

それはそれで仕方ない。

でも大人になったら、ノーって言えるんですよね。言えるし言いたくなったらノーって言っていい。

 

以前のブログに書いたように、私はただいまノーと言っている最中です。

ケンカ シタ!!

👇   👇   👇  その話はこちら

 

shima-shimachan.hatenablog.jp

 

親も歳をとっていますし、やっぱりノーっていうのは背徳心あります。

でも、もう無理なんですよね。

そして私の今の年齢ならば、人に対してノーと言うスキルもきっとある程度ついてきて、うまく距離を置ける人もいると思うんですよね。

しかしノー歴が浅い私は、まだそのスキルはついていないんですよね。

 

だから親とは距離を置いてしまっている。

 

その一方で、私の心は自由に羽ばたいているんですよね。

 

私も親になりましたので、親の気持ちと言うものがわかります。

そりゃあ、子供が絵に描いたような素晴らしい人間になって、世の中に認められてくれたらそりゃ素晴らしいでしょう。

その気持ちは皆無ではありません。

だけど、その子を取り巻くスキルや条件はどうであれ、心が羽ばたいてくれていたら、親は幸せだと思います。

 

やっぱり親って、子供の笑顔に癒されるんです。

辛そうなのは、辛い!!!

 

だから、私が今心が羽ばたいているのは良いこと!!!

 

今までいろんなことで自分を責めて生きてきていましたが、自分を大切にして生きていいんだと、この本を読んで心に刻まれました。

 

自分の中にあるもの

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テラスのグリーンカーテン育成中。

 

 

ついこの間までは、ああなりたいだのこうなりたいなどと思っていました。

それは、これからも思うかもしれないけど!

 

自分でない誰かになると言うのではなくて、ベースは私。

そういえば高三の長男は今日、9月の文化祭の後夜祭で1日限りのバンドを組むらしく、ベースを持って出かけていきました。

いや、楽器のベースではありません、ベースは私。ギターは私の兄。キーボードは私の義理の姉。

私!リズム感無いから!!笑

 

閑話休題

 

私の持ち味。

ベースは私。

 

自分にない何かを持ってくるんじゃなくて、自分の中にあるものを磨いていく、発見していく。

誰しも、より良いものに成長していきたいと思っていると思う。

だから、自分の中にその理想の種はある。

例えば、思いやりのある親になると言う理想があるとする。

でもその理想と言う花は、人によって違う花が咲く。

自分の中にある種も違う。

人間が違うから、文字にすると同じ理想だとしても、表現の仕方は違う。

 

さらに気がついたこととしては、成長の早さも人によって違うと言うこと。

友の会に居てても、成長の早い人とそうでない人が居る。

私は成長の早い方ではないと思う。

それは私のペースがゆっくりしているから。

それは短所じゃないんじゃない?

それが私のペース。

ただそれだけ。

 

私は蒔く理想と言う種は、育つのがとってもゆっくりです。

それは私のペースを大事にすると言うこと。残念なことでは無いんじゃ無い?

 

親としての変化

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親としての変化…こうやって限定しなくてもいいのかもしれないね。

私と言う人間の変化かもしれない。

私のある1部を切り取ったとしても、そこを結局私だもんね。

 

今までは、やっぱりこういう子供になってほしいと言う押し付けた理想があったと思う。まぁ、これを100%なくすのは難しそうだけど。

だけど、少し心持ちが変わったんです。

 

どうして変わったのかと考えてみると、私の心が自由に羽ばたいたからではないかと言う気がしています。

私も羽ばたいていいんだから、子供も羽ばたいていいよね。

こう書いていますけど、そういう風に脳みそを通して冷静に考えてみて変わったと言うのでは無い気がします。

 

理由なんてないんです。

ただ、そう思うんです!

あなた達も、羽ばたけ!!!

 

うん。心持ちとしては、巣立つ前の飛び立つ訓練をするときに、巣の上で子供が羽ばたいていこうとするのを見ている鳥のお母さんです。

 

子供は何となく不安気で、翼を大きく左右に広げて

『ああ、今までになく羽が力いっぱい伸ばされている。』

羽を上下に羽ばたかせる時の、翼の付け根の関節の動き、筋肉への負荷。

体験を通して、だんだんに飛ぶのが上手くなってゆく。

 

今子供たちは、羽を広げて力の加減を試して、家に帰ってきます。

ある時お母さんは子供が飛んでいくのを、巣から見送りました。

とてもいい感じで、空の風と空気をとられてちからいっぱい飛んでいます。

どんどん距離を伸ばしていきます。

わあ!上手になったやんかぁー!

 

そして、子供はそのまま見えなくなってしまいました。

そしてその日の夕方、子供はそのまま帰ってきませんでした。

巣立ったのです。

 

嗚呼。泣きそう。。。。

でも、鳥のお母さんは子供が飛ぶ練習を見てるときは、心配もありながらなんか誇らしい気持ちもあると思うんですよ。

 

今、私が家の庭の槙の木に巣を作ってる鳥になって、想像してみたんですけど、誇らしかった!!!

応援する気持ちしかなかった!!

んー。鳥には職業無いし(絵本では、お医者さんとか、パン屋さんとかあるけど)そういうの無いから、心配事も少なくて済むから誇らしさしか無いのか??

けど、鳥の方が厳しい世界で死を近くに感じながら生きるだろうけどね。

鳥の職業は、生きること!!なのか?

 

両親で交代しながら餌を取りに行くとして→  共働き

巣を作るのは、お父さん?そして、求愛してお嫁さんを貰う。それは、鳥の種類によるか。

 

ん?!何の話!?今回鳥の話やったっけ!?笑

 

大人が自由に羽ばたくって大事ですね。

親じゃなくても、そう言う社会人がいるってことも、社会には大切かも。

親が未熟な分は、よそでいい大人に会うってとっても大切なことだと思います。

 

今日朝テレビをつけたら、カルピス劇場の南の島のフローネと言う番組をしていました。

子供の時この話大好きでした!!!

フローネのお父さんは、お医者さんです。そして長男のフランツもお医者さんを目指しています。

どうしてフランツがお医者さんになろうと思っているのか、それは日ごろのお父さんを見てと、お父さんの医者としての姿を尊敬しているからではないかと思いました。

親が人生を楽しみながら、一生懸命に生きる姿を見ると親のようになりたいと思うのではないかと思いました。

自分の職業などなど継いで欲しいなら、素敵な姿を見せるのが親子共に幸せになるのかなあ。

 

卑下するのではなくて、自分が既に持っているものを数えて自分の良いところに気がつく。ポジティブな等身大。

人を見ていいなって思うんだったら、きっとそのいいなの種は自分の中にもある。

自分の種を自分のペースで育ててゆく。

 

今はそういう心持ちです。

自分は残念な生き物では無い。

そして上のような表現ではなくて、なんと言ったら良いのだろう。

 

上も下もなく、ただ自分である。

 

 

長くなりましたが今日も読んでくださってありがとうございます!