裏庭の自然農☆命を感じながら
裏庭の畝は放ったらかしです。
去年大根を蒔いたけれども、あまり大きくならなかったので、放置しておりました。
その時のこぼれ種で、大根が育っています。
自然農法と、自然農
最近見ている動画で、自然農の動画があります。
私は自然農法と、自然農は一緒なのかなと思っていました。
だけど違うんですね。
ざっくり言うと、自然農法はそのやり方はどこでも通用するテンプレみたいなんです。
自然のは、オーダーメイドというか、土を見ながら、そこに生えている草を見ながらやっていくと言う感じです。
やっていくというのは、どういう作物を植えようかなと言うことです。
例えば、マメ科の草は土の痩せてるところに生える。肥えている所では、育たない。じゃあ、肥料食いの作物はダメだね。など。
さらに、自然農は生き方や命についても語られています。
どちらも基本的に、特に土作もせず自然に任せ、たまに補いとして米ぬかを巻くようです。
自然農法の動画を見て、補いと言う言葉が出てくるんですけれども、その動画を見ててもその補いはいつすればいいのか、する、しないの基準が分かりませんでした。
自然農の動画を見ていて、補いと言うのは前作などで収穫して持ち出してしまった分の土の栄養養分を、補うのだなと言うことがわかりました。
私には補いだけでは、何を補っているのかがわかっていなかったようです。
自然農では草を見ながら、どこに何を育てるのか考えている感じなので、今まで紙の上で作付け計画を立てていましたが、土地を見ながら考えるのも必要になってくるんかな!?
まあ、段々に深くなっていくでせう。
さらに、自然農の作物はそんなに大きくはならないようです。
けれどもそこには凝縮された何か、命?があり、少し食べただけでとても満足すると言うことです。
聞いてるだけで本当かどうか、体験したくなってくる!!!!
しかしながら、化学肥料などで疲弊している土では自然農にしてから何年間か、作物がうまくできないようです。
私はそこまでの信念は今は無いので、肥料もあげつつ、少しずつ自然農に近づけていきたいなと言う気持ちがあります。
池の畑2号地は化学肥料、農薬を使っていました。
耕運機もかけたし、前の人は丁寧な人だったので地はふかふかですが、なんだか生命力は弱い感じがします。
池の畑1号地は、なんだかどっしりしてる気がするんですよね。
全く以て主観的。
なんでどっしりしてると思うのかな?
たくさんの生き物の命を感じる。生き物の気配という感じ?
草も凄く沢山生えていた。
農薬もかかっていないので、虫も居る。
微生物も育まれている。
なんか土から上がってくる活気というか、何か言っているぞって言う気がします。
2号地は、、、モグラがいます。
だけど愛着がまだできてないからか、なんだか寂しい気持ちがします。
スギナすごいんだけど、草の生命があんまりない。とても不思議な感じです。
上の写真に戻りますと、こぼれ種で大根が育っています。
ほったらかしの土地です。
自然農は、草を刈って敷いていくと言うことをしているうちに、土地が肥え過ぎてしまうと言う注意点があるらしい。
それは自然農を続けて、9年10年と言う歳月がかかるみたいですけどね。
土って3年ごとに変わるらしいよ。
石の上にも3年って言うし、仕事しても3年までやっと全体の流れ分かるようになるしね。3年って何にでも通ずるんかもね。
作物を作るのは年に一回だけのチャンス
畑で仲間と話をしていると、農業歴40年!30年!とか聞いて、水戸黄門の印籠のような、ははあ〜〜!感をかんじる。
でも、ちょいと待てよ?
一年を40回しか経験してないのか?
と、感じる。
来年こそは!と作物を作るんだけど、それが30回とか40回なんやな。
あっという間やん!と、感じる。
作物はその季節にしか採れないので、一年に一回しかチャンスが無かったりする。一年に一回しかチャンスがないって、なかなか大変よ。
そんでもって、1年に一回のチャンスで皆んなベテランになってるんや凄いなーって、思いました。
上の写真は、山の畑の長老の畑です。
自然農深そうー。補い以外は肥料要らないしね。
持続可能な農業!!!
池の畑は、この秋くらいから土づくりに手応えを感じている。
池の畑2号地も、そのうちに!
山の畑は、まだまだこれから!
あー。
余裕のある人間になりたい。
農業、自然の摂理にかなった農業をしているうちに、何かなれそうな気がするのよね。
そんな予感。
今日も読んでくださってありがとうございます!!